地獄のハイウェイ

科学・技術や趣味のことなど自由気ままに書き散らしています。

ホメオパシー信奉者は二重盲検を受け入れるか?

ホメオパシー関係で検索していて、
※実名削除さんという方の
「科学はホメオパシーを否定できない」
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-5cb3.html
という記事が発端となって、
それに対してnext49さんという方が
「「情報学ブログ:科学はホメオパシーを否定できない」に賛同できない点」
http://d.hatena.ne.jp/next49/20100808/p1
という記事を書かれ、
それに対して※実名削除さんが
「「科学はホメオパシーを否定できない」への批判に反論する」
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-f736.html
と応答されているのが話題になっていることに気がついた。

そこでの
ホメオパシーの信奉者が二重盲検試を受け入れるか」
という議論にちょっと違和感を覚えた。
お二人は何だか仮想的なホメオパシー信奉者を念頭に
議論されているように自分には思える。

ホメオパシーも「原理派(純正派)」(希釈率10^-60)とか
「低効能派」(希釈率10^-6程度の高濃度(?)派)とか
「クラシカル派」(治療行為に単一のレメディー(療剤)を処方)とか
「プラクティカル派」(多種のレメディーを処方する)とか
色々流派があるらしいし、
もちろん近代医学に対しての態度にも幅がある。
だから二重盲検に対する態度が一様であるとは思わないが、
一方で、彼らは基本的に、
異なるレメディーが異なる効能を持っていると考えている。
だから複数のレメディーの効能比較のために、
二重盲検に掛けることを拒否する理由はないだろう。
また彼らは、
レメディーの希釈過程における「振盪」(succussion)によって
「霊的作用」なり「波動」なりの効果が
希釈後のレメディーに与えられると考えている。
だから水を入れた容器に「お札」を張るような行為や
あるいは試験者の気持ちとか感情などの要因が
レメディーの効能に大きな影響を与えるとは考えないだろう。

従って、
ホメオパスにレメディーを処方させて
その処方と違うレメディーを患者に与えた場合に
正しいレメディーと同じことが起きないだろうと
ホメオパシー信奉者は考えていると推測される。
だからそういう試験を二重盲検で行うことまでは受け入れるだろう。
しかし二重盲検の結果が彼らの期待に反した時に
それを受け入れるとは思わない。
つまり自分の認識では、
ホメオパシーの信奉者が二重盲検試を受け入れるか」
との問いに対する答えは然りであり否。
二重盲検を実施することは拒否しないであろうが、
その結果を受け入れないというのが典型的な反応だろう。

※実名削除さんはSkeptic's Wikiの「「水の記憶」事件」の記事から、
ジャック・ベンベニストが超心理学でいうところの実験者効果で
追試が上手く行かないのだと反論したことを重視されている。
それで
「ただ、コーディネーターは、対象となる薬が、プラセボなのかどうかを知っています。もし、この「知っている」ことが結果に影響するのなら二重盲検は成り立たなくなってしまいます。」

と書かれているが、
しかしその記事を見るとベンベニストが実験者効果を主張したのは
「水の記憶」をデジタル電送するという実験の方のようである。
「水の記憶」のデジタル電送が可能なら
レメディー業界に壊滅的な影響が出るはずだからだろうか、
ホメオパシー側は最初の「水の記憶」実験を引用するものの
こちらの電送実験の方にはほとんど触れていないようだ。