地獄のハイウェイ

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大学は研究機関というのは大学人の自己イメージ

諏訪耕平さんが「大学に関する神話はそろそろ本気で検証したほうがいい」という記事で
大学に関する神話として、
「大学は研究機関であるという神話」を挙げられている。
http://d.hatena.ne.jp/koheko/20110220/p3
大学と言っても旧帝早慶のようなところから
いわゆつFランク大学のようなところまで色々あるので、
それを同一カテゴリーで論じるのも無理があるが、
神話であるかどうかは別として、
ランキング上位であればあるほど
「大学は研究機関である」
というイメージを持っているのは間違いないだろう。
そういうところの教官公募では
研究業績や競争的資金の獲得状況のみで評価され、
例えば高校教師の免許とか予備校講師の経験とかが評価されるという話は聞いたことがない。
それどころか教育歴の有無が問われるような大学はランクが落ちると見られるのが普通だろう。

全てとは言わないが研究の盛んな大学院中心の大学なら、
研究室なりゼミなりに配属されていない学生は、
固有名詞で語られない顔のない存在なのに対して、
研究室に配属され大学院に進学してようやく、
顔と名前が一致する個人と認識されるようになる、
というのは否定しきれない傾向のように思う。

それに研究大学の先生達の「教育」というのが
「研究者の養成」と二アリーイコールだったりもするから始末が悪い。
極論をすれば研究者にならない大部分の学生は、
大学にとってのお客さんであっても、
大学人にとっての身内ではない。

「大学は研究機関でもあり教育機関でもある」というのは、
理想論というか建前であって
研究業績で勝ち上ってきた学会や各種審議会の重鎮の本心は、
決してそうではないだろう。
諏訪さんの言い方を借用するなら
大学人は神話時代に生きている人達なのだと見た方が
実態に即しているのではないかと思う。