地獄のハイウェイ

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科学者のパトロン・クライアント関係について考える

先日、政府と科学者の関係をパトロン・クライアント関係であると書いたが、

 ネットで検索したら同じようにパトロン・クライアント関係として政府と科学者の関係を見ているものがあった。それは田中一郎という研究者の「ガリレオと処世術としての自然研究 : パトロネージを求める科学者たち」(日本物理學會誌 59(2), 118-119, (2004)という読み物。



 パトロン・クライアント関係という言葉そのものずばりやその説明はないが、「大公は偉大な科学者を庇護するパトロンという栄誉を保持しようとし、ガリレオのほうは偉大な君主に自由な意志で奉仕し続けるクライアントの立場を維持しようとした」というような表現から、庇護と忠誠で結ばれたパトロン・クライアント関係について述べていることがわかる。そして「独法化後の政府と科学者の関係は雇用者と被雇用者の関係ではないから、パトロンとクライアントの関係に近いと言うべきだろう」とも述べている。

 さて政府と科学者の関係がパトロン・クライアント関係であるなら、産業界というか企業と科学者の関係はどうなのだろう。特殊なケースは別として企業に雇用されている科学者や技術者は、パトロン・クライアント関係にはないと見なすべきではないだろうか。企業内の研究者の成果発表の自由は極めて小さく、その研究成果は企業の利益追求活動の一部として有無を言わさず組み入れられていくものなので、自由意志による忠誠の表現としての贈り物とは見なせないからだ。

 企業と直接の雇用関係にない大学等の研究者との関係でも、委託研究ならプリンシパル・エージェント関係である。奨学金提供のようなものなら、パトロン・クライアント関係と見なせないこともないと思われるが、それなしには大学の研究者が立ち行かないというのでもなければ、企業の庇護を受けているとは言い難いように思われるので、パトロン・クライアント関係というほどのものでもないのではないか。そういう点では寄附講座ならばパトロン・クライアント関係と言えるだろう。

 科学者コミュニティは産業界の影響の強い一部の分野を除けば、大学それも国立大学と独法などの政府系研究機関が中核をなしているので、科学者のパトロンは産業界ではなく政府であると見なすのが適切だろう。

 このようなパトロンたる政府のクライアントである科学者は、一般市民を一体どのようなものであると見ているのだろう?資金を提供してくれることもほとんどないし、市民がパブリックな権威によって科学者を顕彰するわけでもない(対照的に政府による顕彰の存在は大きい)。一部の崇高な理想を持った科学者を例外とすれば、一般市民のために何かを為すべき負い目などほとんど感じないだろう。

 それに科学者自身は厳しい選抜を通過した選ばれた人間として、そういう選抜を受けていないあるいはそこから脱落した一般人よりも政府の庇護を受けるべき特権階級とでもいうか、高位な立場と自らを認識している傾向も否定できないのではないか。

 このように考えると、科学者が主体である限り科学コミュニケーションというものは、パトロンたる政府が良しとする方向以外には行きそうにもない。ましてや国策に反するような方向に行きそうもないのは言わずもがなだろう。そしてまたその特権階級意識が故に市民との対等な扱いを好まず、むしろ「素人は黙ってすっこんでろ」的態度になりがちなのは、ある程度仕方がないのではないだろうか。


 もちろんそれが決して望ましいこととは自分は思わない。