地獄のハイウェイ

科学・技術や趣味のことなど自由気ままに書き散らしています。

専門家だけど有識者じゃない

少し前の2005年の話になるが、
産業技術総合研究所理事長(当時)の吉川弘之
皇室典範に関する有識者会議の座長を務めた際に、
「皇室の歴史も知らぬロボット工学者が有識者なのか?」と
多くの非難を浴びたのは覚えておいでの方も多いだろう。

もう何回も繰り返して言っているが、
ある分野で専門家であるからといっても、
その分野を離れたところでは、
どうしようもなく無知であったりすることは珍しくない。
現代の細分化された学術の中で特定の分野で業績を挙げたからといって、
異分野については信頼に足る知識や判断力を持っているとは限らない。
専門外の分野に関する話題であれば
日本語の啓蒙的テキストしか読まない素人ファンと比較しても
知識において劣っていても何の不思議は無い。
ましてその分野を専攻した学部卒の一般人に比べればなおさらである。
例えば結晶学に関しては、
柳田充弘よりもマーガレット・サッチャーの方が詳しくても不思議はない。
サッチャードロシー・ホジキンの教え子)
だから、科学の専門家であるというだけでは、
物事に対する深い洞察力があって見識が豊かだなんて期待しない方が良い。

これまでは、そういうことが一般市民の間ではあまり理解されていなくて
科学者はマスメディア等では有識者扱いだったように思う。
ところが
一昨年の「事業仕分け」に反対するノーベル賞学者等の声明に対して
世間が反発したあたりから風向きが変わってきて、
「科学者は縄張り意識が強くて自分達だけの利益のために動く」
というようなネガティブなイメージが拡がりだしていたように思う。
そこに今回の福島原発の事故に関する一連の出来事で
市民の危険回避に問題の多かった政府にべったりの一部の科学者を見て、
有識者としての科学者に期待していた市民が、
裏切られたと感じたというようなところもあるのではないだろうか。

まあ科学者が求めているのは真理であって正義ではないのかも知れない。
そうであるなら専門家だけれど有識者じゃないというところなのだろう。