地獄のハイウェイ

科学・技術や趣味のことなど自由気ままに書き散らしています。

原亨吉ハ先学ニ非ズヤ

デカルト幾何学』(原亨吉訳、ちくま学芸文庫)を購入して、
パラパラ見ていたところ、
ちょっとなぁという文章を見つけてしまった。
本文ではなくて科学史家の佐々木力が書いている解説のところ。

「私は科学史・科学哲学,とりわけ数学史の修業を,1970年代後半のプリンストン大学科学史・科学哲学プログラムで受けたために,日本での先学に言及することをほとんどしない.が,ただひとりそのような学者の名を言えと言われたら,中村幸四郎(1901-1986)の名前を挙げるほかない.その中村が数学の哲学的側面に関して学んだのが下村寅太郎(1902-1995)であり,そして大阪大学での数学の教職に就いてから,共同研究者として一緒にフランス語の数学テキストを読んだ相手が原亨吉なのであった.」
(p.191)

佐々木自身は日本の数学史家とは受けた教育や学統が異なることを
(日本での先学に言及する価値が乏しいと言わんばかりなので)
おそらく自慢気味に言いたかったのだろうけれど、
それでも原亨吉の仕事は佐々木も言及するような、
きちんとした仕事だと言わなければならないはずではないのか?
それならば
「ただひとりそのような学者の名を言えといわれたら」から
「中村幸四郎の名前をあげるほかない」までの部分は蛇足でしかない。
佐々木が中村幸四郎しか言及せず原亨吉に言及しないのであればともかく、
どちらにも言及するわけなのだから「ただひとり」は要らない。
佐々木はわざわざ「中村幸四郎>原亨吉」だと強調したかったのであろうか?

細かいミスで揚げ足を取るつもりはでないが、
ここは編集者が添削すべきではないだろうか?
自分なら

「私は科学史・科学哲学,とりわけ数学史の修業を,1970年代後半のプリンストン大学科学史・科学哲学プログラムで受けたために,日本での先学に言及することをほとんどしない.が,そのような学者の名を言えと言われたら,中村幸四郎(1901-1986)や,下村寅太郎(1902-1995),そして原亨吉といった名前を挙げる.中村と原は共同研究者として一緒にフランス語の数学テキストを読んだのであった.」

とでも修正させるだろう。

結局のところ、
出版社側が文庫版解説の執筆を「大先生」にお願いしたので
文章に拙いところがあっても修正するわけにもいかず、
そのまま出版されてしまったところだろう。
きっと「大先生」達の著作には赤ペンがほとんど入らずに流通しているのだろう。