地獄のハイウェイ

科学・技術や趣味のことなど自由気ままに書き散らしています。

論文に捏造があるのを前提しよう

昨日TVで「NHKスペシャル:論文捏造-夢の医療はなぜ潰えたのか」を見た。
黄禹錫(ファン・ウソク)元教授のクローンES細胞捏造事件について
時系列に沿って転落の過程を紹介していた。

番組では捏造問題が中心になっていたので軽く流されていたが
部下(学生も含むか?)の女性研究者に卵子を提供させていたのは
典型的なパワー・ハラスメントあるいはアカデミック・ハラスメントではないか。
自分の記憶では捏造疑惑よりもこちらの方が早く表面化して問題視されていたと思う。
そういうことがまかり通る研究チームであれば
ボス(黄禹錫)の意向に沿うようなデータのでっち上げが起こるのは
ある意味自然な流れのように思われる。
研究費をたくさん獲得してくるような研究者は
研究能力もさることながら押出しの強い政治家タイプも少なくない。
そういう強圧的なボスの下では、
ボスの説(あるいは研究目標)に都合良いようにデータを改竄するトリミングや
都合の良いデータのみ採用するクッキングなどが多発するだろうと容易に推測できる。
労働安全におけるハインリッヒの法則ではないが
黄禹錫事件のような重大な捏造事件の背後には
その何十倍かのかなりの研究不正があり
そのまた何十倍かの軽微な研究不正があると予測しても良いのではないだろうか。

番組中では査読システムは「研究不正がない性善説が前提」式の話が出ていたが
「不安全行為がないのを前提とした安全システム」がナンセンスなように
その種の言い訳は「研究不正防止」という観点の前では落第ではないだろうか。
査読システムでは対処できないのなら別の方法で対処すべきだろう。
例えば論文が出てさえしまえば「確立した業績」となってしまう
現在の研究評価システムに手を加えるという考え方も可能ではないだろうか。
例えば、
近い過去に出された論文は掲載雑誌のインパクトファクターが高くても業績と見なさず
数年以上前の論文についてのみ現在の観点からレヴューして業績として評価するといった
(ボクシングの判定でアグレッシブさよりもクリーンヒットを採用するようなもの)
研究者の業績評価を採用するだけでも
近視眼的な研究不正を抑制する効果があるかもしれない。
それ以上に敵対的な競争チームに研究資金を与えて検証させ、
その検証報告も研究者の業績としてカウントする方が有効かもしれない。
これに関しては、
ポパー風の反証主義のもとめる「理論を反証しよう」という試みは
競合するグループがお互いの研究結果を反駁しようとする過程で機能するという
科学哲学者D.L.ハルの説もあるので、
それほど荒唐無稽な考え方ではないと思う。