地獄のハイウェイ

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ニセ科学が反証されるとき

ニセ科学批判関係で話題になったことの一つとして
安井至さんが日本化学会の「化学と工業」誌(2006年9月号)に
「「水からの伝言」と科学立国」と題する論説を載せ
http://www.chemistry.or.jp/kaimu/ronsetsu/ronsetsu0609.pdf
それに対する反響が同誌(2006年12月号)に掲載されたというのがある。
http://www.chemistry.or.jp/kaimu/ronsetsu/ronsetsu0609-2.pdf
大手の日本化学会の会誌上のことでもあり
それより少し先行する日本物理学会
「『ニセ科学』とどう向き合っていくか?」(2006年3月)というシンポジウムと並んで
ニセ科学に関する世間と科学界一般の関心と議論を惹起した出来事と言えよう。

さてその安井さんの論説の中の
「このような状況を考えると、「水からの伝言」のように極めて馬鹿馬鹿しいと考えられる主張に対しても、やはり、再現性の有無を検証してきちんとした反論をしないと、科学の本質について社会的理解が得られないのではないか、という結論に至ったのである。」
という部分に対して「反証実験は不要」という意見がある。
天羽優子さん、齋藤一弥さんから「化学と工業」誌上に寄せられたものを筆頭に
ネット上でも色々議論されたようである。
全てをフォローしたわけではないから見落としがあるかも知れないが
議論は「反証実験」の有効性に関するものが多いようだ。
「ビリーバーはどうせ言い訳して反証実験を受け入れない」とか
そういう意見も多いようだ。

そいういう意見を見て、
社会心理学者L.フェスティンガーの「認知的不協和の理論」を思い出した。
認知的不協和の理論というのは
自分の信念に不協和なもの(例えば事件)を認知した場合に
その不協和を減少させるために、
例えばその事件の記事は信用ができないとか解釈するなど
認知を変えるような動機が生まれることを説明したものである。
有名なのは、カルト教団などで予言が外れた場合に
かえって教団の団結が強まり布教活動が活発化するケースで、
これは同じ教義を奉じる人が増えることによって、
予言が外れたという信念にとって不協和な事態を緩和することができるから、
というのが認知的不協和の理論による説明である。
フェスティンガー自身のフィールド研究は
「予言がはずれるとき」(邦訳は勁草書房から)としてまとめられている。
日本脱カルト協会の書評をリンクしておく http://www.jscpr.org/shohyo/syohyo1.htm

この認知的不協和の理論を踏まえると
反証実験はニセ科学の信者に認知的不協和を引き起こすから、
反証実験そのものを受け入れないだけでなく、
かえって布教というかニセ科学の普及活動を活発化させる可能性がある。
また反証実験が学会による権威的なものであれば、
学会の世俗的権威が高ければ高いほど
認知的不協和も大きいだろうから
余計に普及活動の活発化も激しいものになる可能性が否定できない。
もしそのニセ科学信奉者の集団が布教家あるいは営業マンとして有能であれば、
恐ろしい勢いで信者を増やしていくことにもなりかねない。

こういうことを勘案すると
ニセ科学批判に反証実験が有効だ」と考えることはできないのではないか。

※タイトルは言うまでもなく「予言がはずれるとき」のパクリです。