地獄のハイウェイ

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ファインマンをちょっと嫌いになる

物理学者のファインマンは、
「科学哲学が科学者の役に立つ度合いは、鳥にとっての鳥類学のようなもの」
“Philosophy of science is about as useful to scientists as ornithology is to birds.”
という趣旨の発言をしたそうだ(出典はS.ワインバーグによる紹介らしい)。
要するに科学哲学なんか知らなくても科学をやるのに全く不自由はないといったところだろう。
これはある種の人々にとって非常に気の利いた警句なのだとは思うが、
科学について哲学的な研究をすることを侮蔑するかのような感じで
正直言って好きになれない表現である。

「鳥にとっての鳥類学のようなもの」というフレーズは
「麦にとっての植物学のようなもの」とか
「人間にとっての人類学のようなもの」とか
「投資家にとっての経済学のようなもの」とか
「結晶にとっての結晶学のようなもの」(これは苦しいか?)とか
そういう言いかえも可能だろう。
それで、知らなくたってやっていけるという意味でもう少し変形して、
研究の対象それ自体ではなく研究対象の日常的ユーザーをもってくると
「農業従事者にとっての生物学のようなもの」とか
「構造生物学者にとっての結晶成長学のようなもの」とか
「情報処理エンジニアにとっての半導体物理のようなもの」とか
そういうのもフレーズにも変形できる。
まぁ、ここまでくるとファインマン(あるいはワインバーグ)も
ひょっとして「ちょっと待て」というかもしれないが、
関係者にとって極めて不愉快に聞こえるものではないだろうか。

これはファインマンよりも公表したワインバーグの品格の問題かもしれないが
知らなくたってやっていけるというのを、
それに興味を持って研究している人間に聞こえるところで言うのは、
やっぱり誉められた行為ではないと思う。
アイドルの実生活での俗物振りを知って熱が冷めるミーハーファンではないが
自分にとってはファインマンのことがちょっと嫌いになる話だ。