地獄のハイウェイ

科学・技術や趣味のことなど自由気ままに書き散らしています。

例えば法曹対象のサイエンス・カフェ?なんてどうか

サイエンス・コミュニケーションとかそういう方面で
サイエンス・カフェというのがある。
その業界ではそれなりの定義もあるようだが、
要するに科学者と一般人が(多くの場合は先端の)科学の話題について、
気軽に対等に語り合う場といったところが大方の理解だろう。
例えばサイエンスポータルでは

サイエンスカフェとは、科学技術の分野で従来から行われている講演会・シンポジウムとは異なり、科学の専門家と一般の方々が、喫茶店など身近な場所でコーヒーを飲みながら、科学について気軽に語り合う場をつくろうという試みです。

http://scienceportal.jp/contents/guide/
といった特徴づけである。

それはそれで意義あることであるし、
実践されている方には頑張ってもらいたいのだが、
「一般人」という曖昧なカテゴリーが気になる。
ある話題に関心ある人が集まってきた場合に
バックグラウンドというか学歴・職歴、知識水準も様々だろう。
その多様性こそが市民活動としてのサイエンス・カフェの基本だろうし
それを否定する気は更々ないが、
話題提供者がその問題の専門家である事に起因する情報量等の非対称性から
どうしても情報の流れが専門家から一般人となるのは否定しがたい。
これでは気軽であっても対等な立場にはなりにくい。
一方で、例えば原子力の専門家が原発建設予定地でのサイエンスカフェに臨めば、
利害関係者が集まってくるので立場の対等性は向上するものの
とてもじゃないが気楽なコミュニケーションにはならないだろう。

それで思いつきと言うかちょっと無責任な放言で恐縮だが
サイエンス・カフェの参加者を
単なる一般人ではなくある特定分野の専門家に限定したらどうだろう。
例えば、法律家を対象に認知科学の話をするとか
歴史学者を対象に地球温暖化を話題にするとか、
物理学者を対象に発生生物学の話をするとか
哲学者を対象にロボット工学の話をするとかそんな感じだ。
もちろんこれまでも異業種というか別分野の専門家を対象にした
講演会・シンポジウムもあったわけだが、
講演者やパネリストだけが延々としゃべる一方で
フロアからの発言は時間も短めで少数の質問を受け付けるだけといった感じで
大抵の場合はサイエンス・カフェのような「気軽さ」や「対等さ」は
重視されていなかったのではないだろうか?

科学者と市民というよりも
サイエンス対サイエンスとか、あるいは科学と他の専門知との
気楽で対等な語り合いの場というのを考えてみても
面白いのではないだろうか。