地獄のハイウェイ

科学・技術や趣味のことなど自由気ままに書き散らしています。

専門家の間で意見の対立があるから?

原発事故で専門家が信用を失ったことについてちょっと検索していたら
山口浩という人の「『専門家』の責務としての科学コミュニケーション」
http://synodos.livedoor.biz/archives/1798062.html
という記事を見つけた。
そこでの

「その観点で注目したいのは、専門家たちが、一般への知識の「啓蒙」に取り組んだほど熱心には、専門家間の見解の相違とその意味について、一般向けに説明しようとはしてこなかったのではないかという点だ。」

「今回の文脈で特に重要なのは、専門家のあいだで意見が分かれる問題について、意見の相違があるということ自体をわたしたちが知ることだ。」

というような記述にちょっと違和感を持った。

サイエンスカフェとかの科学コミュニケーション業界の主要な顧客層は、
科学論争とかの話が好きな人が結構多いような気がする。
例えば量子論EPRパラドックスとかをネタにした一般向き書籍も少なからず見かける。
また進化論関連だとむしろオーソドックスな解説に負けないくらい
社会生物学論争本や非主流・反主流派の書籍(レベルや内容はピンからキリまで)が
本屋の売り場を占めているようにも思われる。
政治や経済と関連が深い分野で言うなら、
地球温暖化問題では懐疑派による論争的書籍が汗牛充棟をなしているではないか。

一部には喧嘩を見物する野次馬的な興味もあるのかもしれないが、
科学論争のような専門家の意見の対立に関して
人々が興味を持っていないということはないだろう。
むしろ科学コミュニケーションや科学ジャーナリズムでは
そういう対立を積極的に取り扱ってきたのではないだろうか?

原発問題に関して言えば、
専門家の意見の対立に人々が戸惑っているというよりも、
御用学者とか嘘つき専門家の存在が明るみに出たことにより、
フェアな議論がなされていなかったらしいと多くの人が気づいたことで、
専門家の信用が失墜したというのが実態ではないだろうか。