地獄のハイウェイ

科学・技術や趣味のことなど自由気ままに書き散らしています。

科学者による同業者批判について

松永和紀blogの「市民が科学者を見分ける法ー追加」という記事で
http://blog.goo.ne.jp/wakilab/e/f7461768f57ae79fb31c987c7622726b

「日本の科学者は同業者を批判してもなんの得にもならないので、しない場合がほとんど」

云々といった話が出ていて、
そこで例外としてインチキ健康法とかニセ科学を批判している人達の名前があがっていた。
科学者がニセ科学者やインチキ学者を批判するのに熱心でない傾向はそうだと思うが、
話題の文脈から、同業者批判という言葉が
なんとなく本物の科学者がニセモノ(ナンチャッテ学者?)を批判するような
限定された意味合いに使われていることが、ちょっと残念に思った。
脳科学研究者による森昭雄批判(ゲーム脳批判)などもその範疇なのだろうが、
そういうのはどうちらかと言えば本物の武術家がニセモノを批判すると似た印象で
同業者批判というのとはちょっとずれているような気もしなくもない。

同業者批判と言うことなら専門分野を同じくするようなケースが
まさにその名に相応しいと思うが、
そういう批判は専門家のコミュニティー内で行われていて一般市民の目に入り難い。
自分のところでも中村桂子のタンパク3000批判に触発された記事を書いたことがあるが、

タンパク3000について - 地獄のハイウェイ
そこで触れた甲斐荘正恒による批判などがそれに相当するのではないだろうか。
中村桂子生命科学研究者ではあるが構造生物学の専門家ではない)
もっともこのような同業者批判のケースでは、
批判されている方がニセモノであるわけではないので
健康問題や大規模な国家プロジェクト等でなければ、
そういうのを一般市民に可視化することの必要性も低いのかもしれない。
特に国家プロジェクトであったりした場合は
予算配分などで損をすることを恐れて
市民の目に見えるところでの批判には二の足を踏む科学者も多いかもしれない。
各種の審議員等を務める御用学者への批判があまり見られないのは
そういうところにも原因があるのかもしれないと思う。
考えてみると狭義の同業者批判にはあまり期待できなくて
関連分野からの批判(広い意味での同業者批判)でないと期待できないのかもしれない。

そういう意味では地球温暖化CO2原因説を巡る赤祖父俊一の批判などは
http://www.seibundo-net.co.jp/CGI/search/syousai.cgi?mode=id&id=02977&key=syoseki
やや広い意味ではあるが貴重な同業者批判だと思う。