地獄のハイウェイ

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榎木英介『嘘と絶望の生命科学』感想

いわゆるバイオ系の研究現場の問題点を指摘した書籍だが、
正直言うと色々な意味で違和感を覚えた。
著者はピペットを捨てたと自称しているが東大大学院中退後に
神戸大医学部に学士入学し医師免許に加え学位も取得し、
現在は病理医とは言っても近大で職を得て研究から完全に離れたわけではない。
ネットで調べてみると2012年には筆頭著者になっている論文もある。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/22827769
それが
ピペットを握らなくなって10年、ひとりの一般人として、バイオ研究のエンドユーザーである医師の一人として、私は研究者たちに思いを託している。」
(p.252)
と書かれても他分野の研究者や技術者から見たら「へぇ?」とならないだろうか。
例えば物性物理や応用化学などのポスドクだったならば、
メーカーの研究所に入って分野を変えたとしても
アカポス」から離れたと感じたとしても研究から離れたと思うだろうか?
応用系の分野なら物理や化学でなくても例えば食品系なんかでは
研究部門ではなく開発系のセクションにいる企業人の学会発表だって少なくないのに
著者のような価値観では「ピペットを置いた」と表現されるのだろう。
どうもバイオ系では、予算取りの時には「応用可能性」を華々しくぶち上げるものの
ネイチャーやサイエンスといった一流論文誌を目指すことのみを尊しとし、
そうでないないような研究を見下し、
またテーマを一生掛けて追及することのみを良しとするような
ある種の「原理主義」的な価値観が蔓延しているのではないだろうか。
まるで商業デザインなどを見下して求道的に美を追求する「純粋芸術家」そっくりの心性だ。
一方で物理が苦手で「中学卒業程度の知識のまま」(p.37)では
「本当に科学者なのか?」と言われてしまいかねない惨状だ。
厳しいことを言うようだが、
バイオの先端研究なんて特定の誰かががいなくなってもいずれ成されるようなもので
研究者としては平凡な頭脳の持ち主であっても
金と人手さえ掛ければ誰でも達成できるようなペラペラのものなのだと理解させるとか
その位の洗脳解除をしなければ
ピペットを捨てよ、町へ出よう」と呼び掛けても無駄なように思う。