地獄のハイウェイ

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リアルタイムで見た『怪獣使いと少年』

 1971年に放映された『帰ってきたウルトラマン』(以下、『帰マン』)で、主人公の郷秀樹を演じた団時朗(放送当時は団次郎)さんが亡くなった。

 『帰マン』は大人気だった1966年の『ウルトラマン』(以下『初代マン』)が再放送(1968年TBS、1969年日テレ、1970年フジ)でも高視聴率を上げていたことなどを背景に続編として企画され、差別化を図るため『初代マン』では希薄だった主人公周辺の人間模様などのドラマパートに力を入れた作品ということで、時にはドラマパートに力が入り過ぎて怪獣の物語の方がちょっと残念だったりする回もあったりもするのだが、現在では社会派のメッセージ性が強くでているとの評価を受けたりもしている。

 『帰マン』の中では、第33話『怪獣使いと少年*1が屈指の問題回としてこれまでも様々に論じられてきた。この回は陰惨な”いじめ”の演出も含め視聴後に考えさせられてしまう暗い話であり、『帰マン』の傑作回としてよく知られている。2週前に放送された第31話『悪魔と天使の間に....』と並んで放送月に因んで「11月の傑作群」と呼ばれたりもする。確かに33話(と31話)は単体として見ても鑑賞に値すると思う*2。ただ、これまで色々と論じられてきたものの、作り手(主として脚本家の上原正三)側からの視点が中心であったり*3、またネット上に見掛ける感想も放送後時間が経ってから改めて視聴した感想が多いようなのでリアルタイムの視聴者の一人としてどう見えたかについて当時を思い出しながら少し書いてみたい。

 当然のこと『帰マン』は子供番組であり、小学生男児が中心的な視聴者であった。実際、放送当時にはメインターゲットである小学生向けに、小学館の『小学〇年生』に漫画化作品が連載されていたりした*4。そういう中で小学校高学年(小学4年生以上)はリアルタイムに『初代マン』を視聴していたし、やや年少の者でも大部分は再放送で『初代マン』を視聴していた。自分もリアルタイムに『初代マン』や『ウルトラセブン』を見て、再放送も何回も見ていた。そして『帰マン』と同時期に始まった『仮面ライダー』や、少し先行して放映が始まった『宇宙猿人ゴリ』(後に『スペクトルマン』と改題)を見ながら『帰マン』を視聴して(自分がいた関西では金曜夜7時の放送)、翌週に友達と感想を話したり次週予告を見ての期待や想像を語り合ったりしていた。3つの番組の中では『仮面ライダー』が一番人気で*5、『帰マン』は人気の面では『仮面ライダー』に僅かに及ばなかったものの、それでも十分に人気があって、自分の周りだったら主題歌を歌えない者などいなかった。

 さて『帰マン』第33話であるが、作り手側はマイノリティーへの差別や迫害(関東大震災直後の朝鮮人虐殺が背景にあるとのこと)の告発をテーマにしていたそうなのだが、当時の小学生の自分にはその種の背景知識が乏しかった(関東は事情が違うのかもしれないが、関西だと人権教育は同和問題が中心だった)ので、作り手には残念かもしれないが、そういう差別問題と関連付けて受け取ることにはなかった。単純に「怪獣(ムルチ)を封印していた善意の宇宙人(メイツ星人)が、暴徒化した町の人達に殺されてしまったとても悲しい話」、「いじめや迫害に耐えながら父のように慕う命の恩人メイツ星人を匿ってきた少年の思いが、暴徒に踏みにじられる悲しい話」と受け取っていた。ただ、悲劇としてとして良く知られている『初代マン』の第23話『故郷は地球』や第30話『まぼろしの雪山』とはだいぶ違った感触を受けた。

 まず、竹槍など持った暴徒のシーンでは、作り手側には不本意だろうが自分はいわゆる成田闘争の行政代執行*6のニュースを連想してしまった。もしかしたら作り手側はその種の連想を懸念して、本来なら暴動を制止する側の警察を暴徒の側に立たせていたのかもしれないが、これが「警察(お巡りさん)は正義の側で「子供」の味方」という子供番組の常識*7から大きく逸脱していて、見ている側には結構ショックが大きかった。また前半の陰惨ないじめのシーンから、いじめを受ける良という名の少年やメイツ星人に自分は同情的になっていたので、警察官がメイツ星人を射殺してしまうのには、「なんで味方であるべき警察が」という軽い絶望感に襲われた。そしてこれまで基本的には怪獣の被害者として描かれていた民衆*8が、罪なき存在に襲いかかるという「民衆暴力」の恐怖を強く感じた*9

 だが、『怪獣使いと少年』の自分にとっての真の衝撃のシーンは、怪獣ムルチの出現に慌てふためく民衆(暴徒)がMAT*10隊員の郷秀樹に「怪獣を退治してくれ」と助けを求めるものの、郷が民衆の身勝手さに愛想をつかして「勝手なことを言うな」と座り込み続ける場面である。物語の設定上、郷がウルトラマンであることは誰も知らないこと*11になっているので、郷が怪獣撃退の任務を拒否したばかりでなく、ウルトラマンへの変身を拒否したことは視聴者にしか分からないのだが、メイツ星人を殺した暴徒(町の人達)を助けてやる必要なんかないと思った。だから郷が托鉢僧(伊吹隊長*12)に促されて変身したのは、メイツ星人が命をすり減らしながら少年を守るために怪獣を封印続けていたことに思い至った郷が、メイツ星人の「思い」を引き継いで戦ったように自分には思えた。つまりウルトラマンは人類のためではなく宇宙人のために戦ったとも感じられた。これは「ウルトラマン=僕ら地球人の味方」という特撮ヒーローものの根本設定をぶち壊すもので、物凄く衝撃的だった*13

 物語のエンディングで、事件後もメイツ星人の宇宙船を探して河原を掘り続ける少年の姿を見た郷の「彼は地球にさよならが言いたいんだ」という台詞も相まって、本当はウルトラマンに地球人を助けなければならない理由なんてないんだ、と子供心に感じた。そしてウルトラマン(特撮ヒーロー)は、怪獣などの脅威から人類の命や生活は守ってくれるかもしれないが、少年の絶望した魂は救えないのだ、という何ともほろ苦い思いが残ったエピソードであった。

*1:あらすじはここが参考になる。

*2:特撮ものという娯楽作品としては、人気怪獣ツインテール登場回である第5話『二大怪獣 東京を襲撃』と第6話『決戦!怪獣対マット』のセットがお薦め。

*3:例えば切通理作怪獣使いと少年ウルトラマンの作家たち』が有名。

*4:余談だが『小五学年生』には『石の花』で有名な坂口尚が描いた回も掲載されたりしたそうだ。

*5:パンチとキック主体の擬斗が自分の周りでも大人気で、皆でライダーキックの真似していた記憶がある。

*6:東峰十字路事件を含む第2次代執行は1971年9月16~20日

*7:前週の第32話『落日の決闘』では、悪童を心配して親身に寄り添う駐在さんが描かれたりしていた。

*8:『初代マン』第30話『まぼろしの雪山』は例外

*9:人間の醜さや民衆暴力の恐怖は、時期的には少し後になるが永井豪の漫画『デビルマン』で更に徹底的に描かれるので、あるいは時代的な思潮だったのかもしれない。

*10:『帰マン』における怪獣攻撃隊

*11:前々週の第31話で伊吹隊長にバレたようにも受け取れる。

*12:托鉢僧姿の伊吹隊長は郷の心象風景というのが演出上の設定だったらしいが、小学生当時の自分には「心象シーン」には見えなかった。

*13:その後の第37話『ウルトラマン夕陽に死す』で、郷の恋人が宇宙人に殺されるという別のショッキングなエピソードが『帰マン』の印象を更に暗いものにしている。

アルキメデスは周転円説を知っていたか?

 地動説と天動説の話になると、つい天動説≒周転円説と考えがちだが、よく考えてみると、アルキメデス(紀元前287頃~212頃)が知っていた天動説は周転円説ではない可能性が高い。というのは周転円説の最初の開拓者は、アルキメデスと並ぶ古代ギリシア数学の最高峰とされるアポロニオス*1(紀元前240頃~190頃、紀元前262頃~190頃説もあるようだ)と伝えられているからだ。二人には年代的には少し重なりがあるが、アルキメデス放物線の求積を研究していたにも拘らず、アポロニオスの『円錐曲線論』の成果を知らなかったようなので、アルキメデスが周転円説を知っていたと考えるのには無理がある。

 一方、アルキメデスの『砂粒を数えるもの』においては、昔の天文学者としてエウドクソスの名前を挙げているので、エウドクソスに始まる同心天球説を知っていたと考えて間違いないだろう。そうなると、アルキメデスにとっての地動説のライバルの天動説は同心天球説ということになる。

*1:数学の方ではラテン語での”アポロニウス”表記が標準的なようだ。

アルキメデスが地動説支持者だったかもしれない件

 古代ギリシアにおいてサモスのアリスタルコス(紀元前310頃~230頃)が太陽を宇宙の中心とする地動説を唱えたことは良く知られている。アリスタルコス自身の著作は『太陽と月の大きさと距離について』*1が伝わるのみで、我々はアリスタルコスの地動説の詳細を直接的に知ることができないが、彼が地動説を唱えたことは古代最大の数学者の一人であるアルキメデス(紀元前287頃~212)が小品『砂粒を数えるもの』*2の中で紹介している。アリスタルコスの地動説は人気があったと思えないものの、古代ギリシアではある程度は知られていたかとも思われるが*3アルキメデスによる紹介がなければ、もっと断片的で間接的な伝聞情報しか後世に伝わらなかったかも知れない。そう考えると、我々にとってアルキメデスアリスタルコスの地動説に関する貴重な情報を伝えてくれた恩人と言えるだろう。

 さて、アルキメデスの『砂粒を数えるもの』は、宇宙(恒星天球)全体を埋め尽くすのに必要な砂粒の数を表示できることを主張することに主たる目的がある作品である。このため宇宙論については恒星天球の大きさを見積るために説明している程度であるが、『砂粒を数えるもの』の最初の方で、「ご存じのように、大多数の天文学者たちの宇宙と申しますのは、その中心が地球の中心であり、その半径が太陽の中心と地球の中心とのあいだの直線に等しいような、球のことでございます。これは、あなたが天文学者たちからお聞きおよびの宇宙の輪郭でございます。ところがサモスの人アリスタルコスは、いくつかの仮説からなる書物を著わしまして、宇宙はいま申しましたものよりも幾層倍も大きいという結論を、それらの仮定から導きだしたのでございます。」(三田訳、以下同様)とアリスタルコスの地動説の紹介を始めるのである。『砂粒を数えるもの』はシラクサのゲロン王(ゲロン2世)宛のものなので、トンデモの類のいい加減な憶測として、アリスタルコスの地動説を紹介したものとは考えられない。むしろ真面目に取り上げて紹介する価値があるものとして、アリスタルコスの地動説を紹介したものと考えられる。ここで疑問になるのは、アルキメデスは地動説をゲロン王に紹介する価値があるものと見なしていた理由である。

 実際のところ『砂粒を数えるもの』において、太陽-地球間距離を見積もる過程では地動説には全く依存していない。太陽と地球で構成される天球(天動説であるなら太陽の運動を支える太陽天球(Celestial sphere of Sun)、地動説であれば地球の運動を支える地球天球(Celestial sphere of Earth)となる)と恒星天球の直径の比を推定するのにアリスタルコスの説を採用しているが、それ以外にはわざわざ地動説を紹介するメリットが見当たらないのである。『砂粒を数えるもの』が論述されたであろう目的にとっては、天動説における太陽天球でも十分かも知れないし、あるいは恒星天球と太陽天球の直径の比が、太陽天球と地球の直径の比に等しいという仮定だけを用いれば良かったはずである。地球が宇宙の中心と考えることが主流であったであろう当時の常識では怪しげにも思われかねないアリスタルコスの地動説を、その著作の冒頭近くで敢えて紹介するのは、アルキメデスにとって地動説が魅力のあるものであった可能性がある。そのアルキメデスにとっての魅力が何であったか考えているうちに、その理由について一つの仮説を思いついた。それは太陽と地球の2体システムを考えたときの重心の問題である。

 アルキメデスの時代の天文学的知識の状況というのはよくわからないが、『砂粒を数えるもの』の中で、太陽と月の直径の比について、エウドクソス(紀元前4世紀)がほぼ9倍、アルキメデスの父プェイディアス(Pheidias)がほぼ12倍と主張したと述べたのに続けてアリスタルコスは、太陽の直径が太陰の直径の18倍よりは大きく、20倍よりは小さい、と証明しようといたしました。」と記述している。このアリスタルコスの値は、『太陽と月の大きさと距離について』の命題9のものと一致するので、アルキメデスも『太陽と月の大きさと距離について』については知っていたことは恐らく間違いない。その一方でアリスタルコスは、太陽が獣帯圏のほぼ1/720に見えることを発見しましたので」とあり、現存する『太陽と月の大きさと距離について』が太陽や月の視直径が2°としているのと違う数値(0.5°)を掲げ、更にアルキメデス自身の実測値(直角の1/200より大きく1/164よりも小さい、すなわち0.45°~0.55°の間)について実測方法と共に記述しているので、『太陽と月の大きさと距離について』の数値をあまり信用していなかったのかもしれない。アルキメデスは結局のところ、太陽の直径は地球の直径の30倍よりも小さく、太陽(地球)天球の直径は地球直径の1万倍よりも小さいと概算し、それぞれ30倍と1万倍という粗い数値で議論を進めている。この数値それ自体は精密なものとは言い難いが、重心の問題を考察すると興味深いことに気が付く。

 太陽の直径を地球の直径の30倍とすると太陽の体積は地球の体積の30の3乗倍、すなわち2万7千倍になるため、単純に両者の密度が変わらないと仮定すると、太陽の重量は地球の2万7千倍となる。太陽と地球の中心間距離が地球半径の1万倍という条件下で、太陽と地球の2体システムの重心を求めるとすると、その位置は太陽の中心から地球半径の0.37倍(=10,000/(27,000+1))になる。これは太陽半径の0.012倍強(1.2%強)となり、太陽-地球システムの重心は太陽の中にあることになる。もし太陽と地球の中心間の距離を5mとした模型を製作するとなると、地球の直径は1mm、太陽の直径は30mmとなり、重心位置は模型太陽の中心から地球側にわずか0.2mm弱ずれた位置になる。金属棒を切り出したことがある人なら容易に分かると思うが、この精度を出すことは物凄く難しい。アルミで5mの棒を切り出すとするとした場合、アルミの線膨張係数が室温付近で23.1×10-6/Kなので、2℃の温度変化によるアルミ棒の伸縮量の方が大きいということになり、とてもこの精度での製作は実現できそうにない。太陽-地球模型を作ってバランスをとってその重心位置で支えて回転させるとするなら、見た目にはあたかも太陽を中心に地球が回転しているように見えるだろう。もちろんアルキメデスの時代に地球の重さや、まして太陽の重さについては知られていた訳ではない*4。だが数学者として天秤の釣り合いを用いた考察の達人であり、また卓抜した技術者で精巧な天文模型*5の製作者としても知られているアルキメデスにとっては、太陽中心の地動説はリアリティを感じられるものであったのではないだろうか。

 このように、アルキメデスによって地動説がリアリティのあるものであったとすれば、積極的にアリスタルコスの地動説への賛成を表明することはなかったとしても、重要性を持った学説として評価していた可能性が高いのではないだろうか。

<2023年3月18日追記>

 アルキメデスの有名な言葉として「我に支点を与えよ。されば地球をも動かさん。」というのが後世に伝わっているので、機械的(メカニカル)に動かすことができる対象として地球を考えていたのはほぼ間違いないだろう。そうだとすれば、大地(地球)を不動のものとみなす天動説よりも、地球を動くものと考える地動説の方に同時代の他の人以上に親近感があってもおかしくはないと思う。

*1:『太陽と月の大きさと距離について』種山恭子訳((田村松平編『世界の名著9:ギリシアの科学』(中央公論社、1972年)所収)

*2:『砂粒を算えるもの』三田博雄訳((田村松平編『世界の名著9:ギリシアの科学』所収)

*3:プルタルコス(46頃~119年以降)が『モラリア』の中で、アリスタルコスが地動説を唱えたことに言及している。

*4:アルキメデスの同時代人で交流もあったエラトステネス(紀元前276~195)が、地球の周長を250,000スタディアとかなりの精度で求めているが、アルキメデスはこの値を知らなかったようで、30万スタディアという従来から良く知られている推測値に替えて300万スタディアとして計算している。

*5:アルキメデス機械仕掛けの立体的なプラネタリウムのような天文模型を製作していたらしいことはキケロ(紀元前106~43)による紹介がある(『国家について』岡道男訳『キケロー選集』第8巻、岩波書店)。

『サイエンス・ファクト  科学的根拠が信頼できない訳』

 ガレス・レン&ロードリ・レン『サイエンス・ファクト  科学的根拠が信頼できない訳』(ニュートン新書)を読んだ。

www.newtonpress.co.jp

 原題は”The Matter of Facts: Skepticism, Persuasion, and Evidence in Science”。著者は、ガレス(父親)が神経内分泌学者、ロードリ(子)が科学論研究者である。このため本書で取り上げられる事例は神経内分泌学関連の事例(G.ハリスとS.ザッカーマンの論争やオキシトシン研究の流行など)が多いのだが、その紹介は科学コミュニティと科学論の両面から行き届いたものとなっている。

 本書は「科学的事実」の構築やその物語化、流布の実際について、一般向けに紹介したもので、科学論についてもポパー、クーンといった古典的科学哲学から科学社会学、ラトゥールまでが(いずれも好意的に)取り上げられている。特に科学的研究が日常的に色々と歪んでしまうことについて分析していて非常に興味深い。科学における不正行為についてはブロード&ウェイドの『背信の科学者たち 論文捏造はなぜ繰り返されるのか?』(原著1983年)が有名だが、そちらが虚偽や欺瞞といった病理的な事例を取り上げていて「科学の病理学」っぽいのに対して、こちらはリアルな科学の日常的現場でのバイアスや査読や引用の歪みを取り上げていて言わば「科学の生態学」といった趣きで、科学を専門としない一般の人に紹介するのに適切であると思うし、それ以上に科学に携わる人達に多くの共感を受けるのではないかと思う。

 現代の科学について考えようという人にはぜひ読んで欲しい一冊だと思う。

結晶学者は太陽電池の夢を見るか?

 結晶学という学問のジャンルがある*1。主としてX線や電子線の回折を利用して結晶性物質の構造について実験的に研究する分野で、固体物理や物質科学からタンパク質といった生体分子の構造決定まで広い分野で基礎的な役割を果たしているため関連する研究者も多いが、自ら「結晶学者」と名乗る専門的な研究者*2とその学会も存在する。当然、物理系と生物系では、対象や手法に大きな差があり、それぞれサブジャンルをなしている。

 実は生物系の結晶学者が、半導体とか電池材料分野とかの結晶学を専門としない他の分野の研究者と比べて、固体構造やその決定方法について詳しいかというと決してそうではないのである。例えば代表的な無機構造であるペロブスカイト構造*3をさっと説明できる生物系の結晶学者は滅多にいない。さっと説明できないだけではなく、材料科学の研究者が合成したペロブスカイト型の新物質の構造解析を手伝うことも難しい。はっきり言って生物学系の結晶学者は、固体化学に関しては素人である。それが良いとか悪いとかいうのではなく、専門家は自分の専門の外については素人であるということの例に過ぎない*4

 これまでも何度か書いているが、科学研究者のような専門家といえども専門外のことでは素人である。外部から見たら当該分野の専門家集団に属するように見えても、隣接分野の研究者の方が当てになることも珍しくないのである。

*1:結晶学の紹介については世界結晶年(2014)のパンフレットが良いと思う。

*2:専門的な結晶学者を名乗る研究者に「ダーウィンの理論を説明してください」と言った際に「動力学は専門でないので...」とかの返事が返ってきたら、本物の結晶学者と思って間違いない。というのは動力学的回折理論の開拓者の一人が、C.G.ダーウィン(Charles Galton Darwin、進化論のダーウィンの孫)だから。

*3:ペロブスカイト構造については、次のサイトが詳しい。

solid-mater.com

*4:『歴史における科学』(1954)で知られているJ.D.バナールのように結晶学者が専門外の分野で色々と著作を出して一定の評価を受けた例はある。

ランダウはホロドモールのウクライナにいた

 2月末からのロシアのウクライナ侵略で、ソ連時代の大飢饉「ホロドモール」が再び注目を受けるようになって、つい先日12月15日には欧州議会がホロドモールをジェノサイドとして認定したという報道があった。農業集団化の失敗で1932年から1933年にソ連各地で大飢饉になったが、飢饉に加えて穀物の強制徴発によって特にウクライナでは食糧危機は非常に深刻なものになり(スターリン民族主義的な傾向の強かったウクライナの農民を目の敵にしていたらしい)、数百万人以上が犠牲になっと言われている*1

 L.D.ランダウ*2の伝記的事項を見ると、ランダウは1932年から1937年にかけて、ハリコフ(ハルキウ)のウクライナ物理工学研究所(Ukrainian Institute of Physics and Technology、UPTI)の理論物理部長であったそうだ。またその頃、ハリコフ大学やハリコフ工科大学でも教鞭をとっていたそうである*3。つまり、ホロドモール真っ只中のウクライナにいたのである。ランダウがホロドモールについてどのように思っていたのかはよく分からないが、1938年にランダウは粛清の嵐の中で逮捕されたことは比較的よく知られていると思うが*4、ホロドモールと接点があったことはあまり知られていないようなので紹介まで。

*1:因みに悪名高きルイセンコが主役に躍り出るのは大飢饉後の1935年以降。

*2:L.D.ランダウとE.M.リフシッツの『理論物理学教程』は自分達の学生時代には物理学に憧れる層にとっての”聖典”のような扱いであった。自分もご多分に漏れず憧れから『力学』『場の古典論』『量子力学』『統計物理学』『流体力学』を購入して今でも持っている。実際のところは『力学』の最初の方と『量子力学』の最初の方で挫折してしまって長らく積読状態。

*3:リフシッツはハリコフ時代の教え子

*4:佐々木・山本・桑野編『物理学者ランダウ』に紹介されている。

さよなら燃える闘魂

今朝、アントニオ猪木が亡くなった。

自分たちの世代にとって、A.猪木はスーパースターというか抜きん出た別格のスポーツヒーローであった。今日の日本におけるいわゆる格闘技興行は猪木がその礎を築いたと言って差し支えはあるまい

たまたま昨日、嫁さんと「猪木の引退試合の相手ってドン・フライだったよね」と話をしていたので、偶然とは言え何とも言えない感じがする。

心からご冥福をお祈りしたい。