地獄のハイウェイ

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どうして科学者は統治者目線になりがちなのか

 神保哲生という人がやっている「マル激トーク」というところに、平川秀幸をゲストにした「なぜ「専門家」は信用できないのか」というのがあった。
http://www.the-journal.jp/contents/jimbo/2011/04/post_107.html
その中で注目したのは

「例えば科学者の「100万人に1人の確率でしか起こらないから安心だ」という説明は、全体を見てリスクを考える統治者側からの目線だ。リスクにさらされる一般市民の側は、その1人に自分や自分の家族が当たった場合どうするかを考えるため、到底受け入れられない。つまり、同じ「安心」にも統治者と当事者の目線の違いからくる対立が生まれる。」

という部分。「統治者目線」という言葉が非常に興味深い。

 専門外なのに御用学者のお先棒担ぎというか提灯持ちをする科学者が少なくないのは、科学者の多くが原発事故の場合では被害の当事者ではなく、「統治者」(つまり国)の側から見ているということの表れなのだろう。国家権力というか政府の情報隠蔽を意図的なものでないように擁護しがちなのも「統治者目線」で国民に接しているからなのだとすると納得できる。

 それでは、どうして科学者は「統治者目線」になりがちなのだろうかと考えてみた。しばらく考えて思い至ったのは、民主化の遅れている開発途上国前近代的な政治システムに見られる「パトロン・クライアント関係」(patron-client relationship)だ。これは高位の立場にあるパトロンが低位のクライアント(被保護者)側に保護や利益を提供し、クライアントはその見返りに政治的支援や忠誠の提供でもって報いるというもの。地方政治における顔役とその取り巻き連中との関係とか、第3世界の独裁者とその支持者による私兵集団とかの関係であるとかは、そういうパトロン・クライアント関係であるということになる。
 これに対して近代的な依頼主-代理人(被使用者)関係は、プリンシパル・エージェント関係というそうだ。ちょっと言葉が混乱しそうでややこしいが、広告業界でいうとことろの「クライアント(広告主)」は、プリンシパル・エージェント関係のプリンシパルということになるだろう。

 さて、以前にも触れたことがあるが、アカデミックな科学者のパトロンは誰かと問えば、それは研究資金を提供してくれたり、プロフェッショナルな地位を保障してくれたりする国家あるいは政府ということになるだろう。政府と科学者の関係をパトロン・クライアント関係だとみなせば、科学者(クライアント)が政府決定に従順に従うことを強調したりするのは、忠誠心の発露によってパトロン(国家あるいは政府)に報いているのだと理解できる。もちろん往々にして反政府的になりがちな市民運動に対して敵対的あるいは懐疑的な科学者が多いのも、政府とのパトロン・クライアント関係の反映だ。そうであるなら、政府に責任があるような事件や事故に際して、科学者が「統治者目線」で語りがちなのも当然だと言えるだろう。

 ミッション・オリエンテッドな応用科学的研究なら、プリンシパル・エージェント関係が成り立たないこともないだろうが、基礎科学分野ではパトロン・クライアント関係から逃れられない。だから物理学に代表される基礎分野の科学者の情報発信は、「正しく怖がる」という標語で象徴される大衆宣撫工作に陥りがちなのだろう。